個性のままに生きる〜自分と向き合う為の余白

皆さまこんにちは。

前回の記事↓の続きです。

rapha8741.hatenablog.com

個性を発揮するには自分の中の抑圧を解く必要がある、とは頭で分かっているものの、それを行うことは私にとって簡単なことではありませんでした。

多次元キネシオロジーには自己を抑圧する遺伝が系統に分かれて存在していまして、今回主に調整しているのがゼータレチクル系というサラリーマンのような遺伝です。

“感情を抑圧して周りと合わせる、真面目に働き権力に従う”とても日本人的な遺伝です。日本社会や教育の在り方の根底にこの信念体系を感じますよね。

私の場合この遺伝の信念体系を強く持って育ったにも関わらず適性がなかったので、どれだけ努力しても会社や社会の歯車に向いてないと感じるばかりでした。

脳内では会社員って社会保障もしっかりしていていいな✨と全ての働く会社員に対してキラキラのフィルター✨がかかっていたのですが、私自身は細かい数字や誤差の許されない事務や会計が苦手だし、人間関係も上司だから忖度するとか派閥とかも気にしないタイプ。

憧れと適性がまるで噛み合っていないのにいつまで経っても“企業の普通の会社員”になろうとしていました。

でも自分の適性に合わない環境にいるとダメ出しばかりされ「自分はダメなんだ」と思うばかりでした。

『誰でも出来る仕事だよ』

と時に上司から言われたりもしました。

そんな時はやっぱり落ち込んだし、自己否定が募る一方でした。

そしてここにいたらずっと惨めで自分をダメな人間だと感じる、と思っていたのにそれでも人が足りないからと働き続けて結果身体を壊しました。

不思議ですよね、ここにいたら自分がダメになるとわかっているのにやめられない。

これも脳にインプットされた“組織や権力に従うことが正しい”というゼータレチクル遺伝的な観念や“しんどくてもやめない、やめられない”という冥王星遺伝の世界観が自分にとってたとえ劣悪な状況に陥ったとしても脳内的には信念体系に従っているだけなので

《エラー(異常)ではない》

と判断されていたんだろうなと思います。

人の思考と行動は脳内で無数の信号が出され制御されています。

本人にとって不都合でもGOサインが出てしまうような自虐的な行動や言動の背後には脳を縛る何かしらの不必要な信念体系や傷(脳へのダメージ)が隠されているように感じます。

脳へのダメージといえば以前見たNHKの特集がとても記憶に残っています。

それは体罰や暴言、夫婦げんかを見せるなどの不適切な養育(マルトリートメント)が子どもの脳に深刻なダメージを与える可能性があるのでないか?ということを脳科学の画像診断(MRI)を用いて紹介されていた番組でした。

虐待を受けていない人の脳と比較したところ、脳の特定の部位に「萎縮」や「肥大」といった変形が見られた、ということがそれぞれのMRIの詳しい画像と共に解説されています。

たとえば平均で8年間、あざができるほどの厳しい体罰を受けたグループでは、理性をつかさどる脳の前頭前野の一部が平均19%萎縮していた、など…

トラウマや傷と呼ばれるようなものが与えるダメージがいざ視覚化されたものを見ると事態は思っていた以上に深刻ではないかと衝撃を受けました。

番組ではこうしたマルトリートメントで傷ついた子どもたちの脳機能が徐々に回復するまでのプロセスも紹介されていました。

そのドキュメンタリーでは親御さんがお子さんとの信頼関係を回復させようと根気強く奮闘されていました。

脳科学では“安心感を与えること”が傷ついた子どもの脳の回復に重要だと考えられているそうです。

それと《同調する動き》が脳の神経ネットワークの回復を助けるのではないかと考えられているそう。

キャッチボールなどの遊びを通して`自分の投げたボールを相手が受け取ってくれる`ということに喜びと安心感が生まれ`投げる・キャッチする`という動作を繰り返す中で脳が活性化されるということだそうです。

一方で“トラウマというものは実体がない、現在の不幸を説明する為にトラウマという原因を作り出している”と説いたアドラー心理学の本も思い出しました。

何が万人にとって正しいというのはないと思います。

トラウマなんて存在しない、という考えでラクになるならそれがその人にとっての合う考えだったのだろうし、そういったコーチング論では癒されなかったのだとしてもその人の弱さとかではなくて、大切なのは何が自分を良い方向にしてくれるものなのか見極めることなのではないかと思います。

自分の個性をより開花させられるものや考え方を選んでいく。

このところ長期でじっくりオリオン遺伝やゼータレチクル遺伝に向き合っていますが、始まりは目標設定からで

《自分の才能や可能性を信頼し“魂の喜ぶ仕事”に向かいます。

いつも直観に従いクリエイティビティを高めます。

その結果 健康を、豊かさを、結婚・パートナーシップを受け入れます》

という全部盛りの目標設定を打ち出してきたんですね😅

その頃寒いし何もする気も起きないし社会において生産性が無さすぎる自分に対して何のために生きているのかしら…と思ったりしていたのですが、ある時

《自分と向き合う為の時間が与えられていることは特別なギフトだよ。

人間の人生は思うより短い。

誰かを想い、誰かの世話をして、自分のテーマに充分に向き合えずに一生を終えることだってある。

君が今向き合おうとしているテーマは大きい。

それだけの時間という余白が必要だ。

テストの大問にはその回答に必要な十分な余白が取られているだろう。

君の今の時間はあの余白だ。

回答する為に必要な時間だ。

それが与えられている。ギフトだと思いなさい》

とメッセージが降ってきて

(余白か〜考えたこともなかったわ…)

と思いました。

社会的な生産性はさておき魂にとっては今必死で人生の大問解いてる感じなんでしょうか?

あと昔からお風呂でこういうメッセージやエネルギーを受け取ることが多かったのが不思議で同じような人がいるかググってみたら、結構いらっしゃった!お風呂が聖域派!お仲間がいてなんか嬉しい…✨

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しまった…やっぱり全然終わらない😂

このテーマは私にとって大きすぎてアウトプットが終わらない…

終わらなーい!!!!!

(まだ続く)