皆さまこんにちは。
今日は生と死について書きたいと思います。
発端は『身体に力が入らない』を調整したくていつものように自己調整を始めたところからでした。
レプティリアンの中の1つの遺伝が出てきたのですがメジャーな割に今まで1度も調整したことがないものだったのでこれってどんな内容かしら?と思いながら進めていきました。
進めていくにつれ「本当に力が抜かれる遺伝なんだ!」という印象を感じていきます(ヴァンパイアレプティリアンというお名前😂)
身体からもそうですがメンタル的にも《無力感》《力を失う》《現実を見たくない》など出てきます。
そして厄介なのが私はもともと力が抜けない緊張しやすいタイプで力を抜かれることが自虐の要素とバランスを取る要素の両方を持っていたこと。
これは人間のバランスのうまく出来てるところで限界を超えて頑張る木星遺伝にとってダラダラしてしまうアニマル遺伝がバランサーになってたりするように相反する遺伝を持つことでバランスを保とうと人類は無意識に生存戦略を取ってきたのではないかと考えてみたりします。
なので自虐でもあり弛緩にもなっていたこの遺伝なのですが、最近落ち着かないとかパニックとかのもとになっていたアニマル遺伝を『深い睡眠』をテーマにしたらガンガン片っ端から調整することになり、だいぶ片付いたか〜と思ったら力が入らなすぎる状態になってしまった!という状態なのでした。
ステロイドの副作用でもあると思うのですがこんなにグラグラなのは初めてでどうした???という感じだったのです。
パニック回路が撤去されても力を抜かれる回路は作動したままなのでこうなったのかしらと仮定してみるとちょっと納得です。
そんな感じで調整を進めていくと家族との前世が色々出てきまして家系のカルマであるとか上がってきます。
そして久々に風水リスト。
亡くなった猫さんの毛を保管していてそれだろうなと思ったらやっぱりそれでした。
対処法は《太陽の光に当てる》と《満月の光に当てる》です。
そしてアファメーションリストの《生と死》からのメッセージは
『私は死を新しいことの始まりと捉えます』
死とは終わりではなく、魂は継続していく。終わりにしないで、忘れないで。
というメッセージなのでした。
以前私の大切だった人がこういう考え方をナチュラルにしている人で
“大切だからこそ生きているうちから何か他の形に残す” “故人のくれた大切な言葉を意識して生きればずっと繋がっていられる気がする”
という死後の継続の価値観が自然に備わってる人でした。
私は「わかるけど無理だな〜死んでいなくなったら終わりでしょ」と当時受け入れられなかった。
幼い頃の母の死での絶望感が酷かったんでしょうね。
でも今回《違うよ、終わりにしないで》というメッセージをすごく感じました。
太陽の光に当てたり満月の光に当てたり、外に猫さんを出してあげるような、生きている頃と同じようなことをする。
変わらないんだなと思いました。
“故人を意識していればずっと繋がっていられる”
彼はそれをすごく分かっていたんだなと思います。
ここまで至るのに私は時間がかかりましたが供養とは継続していく時間なのだなと感じています。私や私の家族も。
もう無力さも力を失うこともなく、生きている私達を見て楽しそうにしてくれていたらいいなと思います。
もうすぐ満月だからお外で遊ばせてあげよう。
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