皆さまこんにちは。
今日は『やりたくないことをやらない』について書こうと思います。
先日典子さん(多次元キネシオロジーの師匠)のブログを読んで、まさに私こういう人生だったなぁと思いまして
中田敦彦さんのYouTubeで
年収90万円で東京ハッピーライフという本を紹介されていたのですが、そこで1番心に刺さったのが
【嫌いなことして死なない】というフレーズでした。
“やりたいことって何?”と言われてすぐ出てこなくても「やりたくないこと」はなんとなくわかりますよね、それをやらない、というのです。
仕事で単純作業なら出来るけど複雑になったら出来ないとか人と関わる仕事が好きな人もいれば合わない人もいる。出来ないこと、合わないことを世間体は取っ払って省いていく、人間関係も足すじゃなくて省く、合わない付き合い、疲れる付き合いを省く、大事なのは居心地の良さを確保することだと。
真理だわ…と思いました。いかにやりたくないことで死んできたことか😂
じゃあなぜ人はやりたくないことをやってしまうのでしょう?
誰かがいいと言ってる人生、世間体を気にして、誰かの為に生きる人生、自分の人生ではなく誰かの人生を生きているから。
書いてて自分でもグサグサきていますが、本当に自分の人生を生きるって楽しいことなんですよね。どこかに楽しさがある。
でも自分を押し殺して世間体や親や周りの目を気にして長らく生きてしまうと『楽しくていいのかしら?』と自分の本当の望みや居心地の良さにすら後ろめたくなってしまいます。
やりたくないことをやらないのも1つの主張ですよね。そこに自分があるからNOと言える。
私自身も思い返すと幼い頃に母を亡くして自分を押し殺して生きることが長かったように思います。母は一生懸命になんでもやっていた人で母のように完璧になる(完璧なんてないんですけどそう見えた)プレッシャーがずっとありました。
頑張らなきゃとずっと思って出来ないことにぶち当たると落ち込むことを繰り返していました。出来ないことはやらなくていいってどこか途中で知りたかった。
結果が今身体に表れているんだと思います。
しかも私こういうパターンで前世も繰り返してきている感覚があって、身体に出ることはやりたくないことをやらない為のストッパーだったんだろうなと。
【自分】の人生を生きる為に毎回同じパターンの試練を繰り返していたような感覚があるのです。
“本当に欲しいものは何?言ってごらん。その為なら全力でサポートするよ。楽しいことだよ”
と優しいエネルギーのメッセージがあってなんだか泣いてしまいました。
本当に欲しいものを私は言ってもいいのかしら…
今朝お散歩していてこの土地の木々達に『私はここにいていいのかな…余所者だけど』と質問をしたところ
“満たされるのなら此処にいればいい。私達も此処にいるだけだから”
と返ってきて(なるほど!植物の世界は縄張りとか関係なく生き残らなきゃいけないんだった!余所者とか人間の考えなのね!)と目からウロコでした。植物の皆さんの生存戦略はすごくて、必死に生き延びる為に太陽の当たるスポットを巡って常に群雄割拠なのです。
ある意味とてもドライでちょっと東京っぽいなと。ただここに咲いている。それが植物達の今に生きるエネルギーなんですよね。
自分というものをただありのままに受け入れて生きること。
やりたくないことはやらない。陽の当たる方へ向かう。そして常に今に生きる。
学びが大きいです。今という時間の全てが。
無理せず楽しく。