ケアすること、されることの大切さ 自己愛

皆さまこんにちは。

先日3ヶ月ぶりに美容院に行ってきたのですが、久しぶりにすごくリラックス出来てとても良い時間でした。担当して下さった方が雑味のないとてもナチュラルな方で、こちらも無理に喋ったりしないでとても楽でした。

たまにこちらが接客を受ける側なのに逆に接客している気分になることがありまして、そういう時は余計疲れてしまいます。

私は接客業が長い上に人の話を傾聴する癖が染み付いてるらしく、気がつくと相手の望むように話を聞いてしまっていることが多くてプライベートなのに仕事かな?と思うことがよくあります。だからこそ自分のそんな部分をOFFにして過ごせてとても癒されました。

人にケアしてもらうことがこんなに心地よいことなんだってやっと分かりました(今ごろ?) 自分がいつもケアする側だったからケアされる側の気持ちを実感したことがあまりなかったみたいです(^^;;

つい最近も友人と電話で話していて自己愛の話になりました。

私の病気についてリーディングしてくれて『自分を大切にする、ケアする、自分に注力させる為に病気がお知らせしてくれているんだよ』と言ってくれて、本当にそうだわ…としみじみ納得しました。逆に言うと自分を大切にしないとお知らせ(病)という形で悪化していくだろうと。本当に本当にそうですね(泣)という感じです。

今までどれだけ他の誰かの為に何かの為に生きてきたのだろう…それはもう果てしないくらい長い年月を誰かや何かの為に費やしてきた気がするのです。だからもう自分の人生を生きたい、自分をケアしたい、そんな魂の叫びがお知らせに現れているわけですね。

ケアされるってこんなに良い気分になるんだってひとつひとつ大切に噛み締めて、大切にされていいんだと少しずつ受け入れていけたらいいなと思います。

誰かの為に生きることはまず自分という輪郭がはっきりしていないと“人の為に生きているのが自分”になってしまいます。別に誰の為に生きなくても自分は自分でいいのですよね。

染み付いてしまっているので完全に脱却するのはなかなか難しいですが、誰よりも1番に自分の味方でいて、ケアして、優しくしてあげたいなと思います。

他人に優しくする方が自分に優しくするより難しいってなんなんでしょうね^^;

自己調整して1番最後に出たアファメーション

『私は自分に1番に与え、それから他の人に与えます』

というまさに!!!なものでした。

他の人に与えることが多い人ほど自分自身の器にある容量に気を配ってあげたいですね。

『あなたの器にどれだけ無償の愛があったとしてもあなた自身を1番に大切にしてあげましょう。それで満たされた愛で他の人に与えましょう』とのこと。

自己愛はこれからも人生のテーマになりそうです。