ヘルパーズハイと強迫観念の違い

皆さまこんにちは。

今日は最近考えさせられたことについて書いてみようと思います。

ヘルパーズハイとリラ遺伝などの人助け強迫観念の違いについてです。

きっかけは学生時代の友人達とグループ通話をしていた時のこと。

途中から参加した1人の友人の言動を見ていたら私の頭の中は《やばい気がする…脳の調整が必要だと思う…大丈夫かな…》とその友人に対してのことばかり気になって仕方がない状態に。通話が終わってからもなんだかそわそわするのです。

悪い感じはそこまでしないけど筋反射的には調整しろと出てきます。

優先で上がっていたのはライトサイドの人助けプレアデス遺伝2つ(使命感!!!)とリラ遺伝(人を助ける!!!)でした。

調整が終わるとやっと自分が帰ってきた感覚がしました。

プレアデスを始めとするライトサイド系遺伝は普通に持っている分にはなんの問題もありません。人に優しく出来たり、社会に良い循環を生むエネルギーだと思います。

【ヘルパーズハイ】という言葉を最近知ったのですが、これは『人の役に立った!』と感じることで人間が持つ3つの欲求(自尊心・親密感・自律性)が満たされてやる気ホルモンと言われるドーパミン(神経伝達物質)が放出されランナーズハイのような高揚状態になることを指すようです。社会貢献はそれ自体が快楽であり、やる気につながるので仕事を選ぶ際に必要な徳目であると言われています。

参考文献:科学的な適職 https://www.amazon.co.jp/dp/B082NWJHND/ref=cm_sw_r_cp_api_6V97RBQZ939SHNDWWBDK

なので人のために何かをすることは良いことなのですが、どんな時に問題なのかというとグラウンディング出来ていない時》です。

身体の感覚でいうと《頭の方ばかり忙しなくて足元までエネルギーが繋がっていない感覚》です。自分の意思のようで自分の意思じゃないのです。

だから意思決定になっていないのです。自分がこうしたい、じゃなく条件反射のやらなきゃ!になります。人助けしたいこと自体に問題はありません。問題なのはグラウンディング出来ていない状態から生じる自分との分離なのですね。

特にグラウンディングが元々あまり強くない場合、リラの人を助けることへの強迫観念が強いと自分と自分の身近な人に疎かになりがちです。

外へ外へ意識が向くし、地に足の付いていない、自分が満たされていない状態でも強迫観念に駆り立てられて頭だけその方向に向かうのです。

だからもし《この人を助けたい》と思った時にまずグラウンディングすることが大切だなと今回実感しました。

地に足を付けた状態でこそ最良のパフォーマンスを発揮出来るし、自分のエネルギーが足元まで通っていない状態ではエネルギー循環もうまく回りづらいのです。

私が人の身体に触れる整体を大切にしてきた理由もここにあります。

肉体という3次元の物質に意識して触れること自体がグラウンディングになり得ていたんですよね。

グラウンディングを保つことで【自分で在る、being】を失わずにいられます。

グラウンディングなんて要らないよ!人を助ける快感の為に生きたい!ともし思う方がいたら人助け人生を幾度となく繰り返してきた私の感想としては

『いつか絶対燃え尽きるからやめとけ』

 の一択です。

燃え尽きちゃダメゼッタイ!です。

自分の意思でヘルパーズハイを選ぶのか、強迫観念(リラ遺伝など)に突き動かされて自分軸を見失って人を助けるのか、ではエネルギーの使い方も大きく違うのです。

貢献することでお互いがwin-winになること、エネルギー循環が生まれることが良いケースですね。

グラウンディング大切にしよう。自戒も込めて。

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