自分の人生を生きること

皆さまこんにちは。

今日はいいなと感じたブログ記事をご紹介しようと思います。

【パワーを奪う人達】人の事に干渉したり口出しする人の正体と対処法

このブログを見つけたのはまさに身近に干渉・コントロールしてくる人がいて最近悩まされていたからです。色々とお世話になっている方なのですが、とにかく持論という枠に嵌めたがるし、自分がしたことに対する見返りを求めるエネルギーが強くて接する機会が増えていく度にとても疲れてしまうようになりました。

斎藤一人さんの教えというような別の方のブログではそういう人は愛を与えられること、尊敬されることを求めているので『あなたの話はとても有益だ!あなたのことを尊敬している!あなたのようになりたい!』と明るくハキハキ間髪入れず言うと離れていくと書いてありましたが、いや…エネルギー消耗して心底嫌になってるのにそんなこと言えないでしょ…と冷静に考えた後このブログを見つけました。

 

【他人のやることに口出ししたがるほど、自分の人生をちゃんと生きていない】

 

結局そういう人は自分の人生を我慢して生きている人達であり、自分を諦めた人達であるとブログに書かれています。

そして自分も諦めたんだからおまえも仲間になれよ。が足を引っ張ってくる正体だと。

 

自分の人生を自分の好きなように生きることを世間は許しません。

何故、わざわざ時間と体力を割いて、自分とは関係のない他人の生き方に難癖をつけるのかが理解できませんでしたが、数年前に合点がいきました。
 
それは
「俺も折り合いをつけたのだから、お前も折り合いをつけろよ」
という”折り合いの強要”で、つまり、
「早く諦めてくれよ。自分の人生を好きに生きられることが証明されてしまうと、それを諦めた自分がバカみたいじゃないか」
です。
そんな「知ったこっちゃねーよ」な都合が、批判となって、多数決で正論となって、のしかかってきているのだと。
 
 
 
まさにこんな感じの日本社会ですよね!
その方は今の仕事の前は大手自動車会社の関連会社に勤めていて、全ては分刻み、ちょっとの不具合で大問題に繋がることからとにかく何でも事前にキッチリ決めておきたい、そうじゃないと許せない、というバックグラウンドがあって、まさに社会や会社の歯車として生きてきた人なのだなと思います。でも別にそれを他人にまで強制する必要はないのです。他人は他人だから。その人にはその生き方が受け入れられるものだった。日本社会の中で決められたレールに乗ることにフィットして生きて来れた。
 
でも時代は変わっているし、私の場合明らかに多様性の価値観を良しとして生きてきたので純粋に話していて息が詰まってくるのです。
ステロイドの副作用と心理的な息詰まりと二重で苦しかったんですね(最近息苦しさが悩みでした)
そして【そういう人からは全力で離れること】とあります。
自分が一緒にいて苦しい人といるのは身体にも心にもよくないですからね。
少しずつ距離を取ること、NOという回数を増やすこと、自分が元気で笑顔でいられるようにパワーが奪われる人間関係を出来る限り避けて自分の人生を生きることを大切にすること。
人間関係ってとても大事ですよね。プライベートでは一緒にいて元気になる、安心できる人達と付き合っていきたいですね。
 
この苦しさとワークしてきた中で多次元のリストではマーカビアン(人と違うことをすることへの恐れ)リラ(人を助けないと罪悪感、男性からの抑圧、同情する)レプティリアン(イライラ、恨み、呪い、コントロール系の数種類)を色々ワークしました。
マーカビアンやオリオンを調整していくと自我が健全になってくるのか抑圧されていると感じる扱いに苦しくなってしまったようです。
 
ときどき《いい人、優しそう》と思われるのが嫌になる時があります。
優しさって強要されるものじゃないし、いつでも付いてくるオプションじゃないのに必要以上に求めてくる人がいて、自分の中の過剰な慈愛すら疎ましく感じたりします。
でもそんな人ばかりじゃないし、自分の現実は自分で決められる。
 
自分の価値を正当に認めてくれる人、大切にしてくれる人を大切にしましょう。
あなたのギフトや時間や価値を認めて尊重してくれる人を大切にしましょう。
東京に帰省した時に友人が『会う時間を作ってくれてありがとう』と言ってくれたことがあって今でも覚えています。
 
自分の人生を生きること、尊重してくれる人達を大切にすること、その為だけに時間を使うこと。良い方角、良い人間関係の方を見て生きること。
その境地に行き着くのには時間がかかりましたが自分の感覚に正直に生きたいと思っています。
 

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